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卓 話
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2012年1月27日(金) (第1888回 例会)

私の履歴書


卓話者
  会員 垂井 信哉氏
  (化学工業薬品販売)





私は昭和30年12月11日に兵庫県加古川市尾上町で生まれました。
当時尾上町は浜辺に近く、松林が広がっており、海水浴も出来ました。

幼稚園の頃は、わんぱくで、竹材で眉間を刺す大怪我をしてしまい、母親に抱きかかえられて、
近くの病院に行った記憶が残っています。

小学校は加古川市立尾上小学校。二年生、三年生の担任の辻先生はユニークな先生で、授業中、
学習に飽きてくると、体育の授業になり、特に冬場は耐寒訓練と称して、40分から1時間、運動場を
走らされました。
低学年の子供には非常に辛かったですが、その後の野球には、役に立った様に思います。

四年生になり、上級生も含めたソフトボールチームにピッチャーで、加古川市の連合運動会に出場し、
好成績を残しました。
我々の世代は、巨人、大鵬、卵焼き、世代で、私も例にもれず、巨人ファンでしたが、ガキ大将の
阪神ファンの同級生に無理やり阪神ファンにさせられた事が印象に残っております。

中学校は加古川市立浜の宮中学校。
ちっとも勉強せず、野球ばかりの生活でした。
中学二年生の時、親の事情で一人住まいをし、たまに素行の悪い先輩が出入りし、喫煙を
勧めましたが、目標のある高校に進み、甲子園に行きたいとの思いが強かったので、悪い誘惑には
負けませんでした。
中学での一人暮らしが、その後の私の自立心を高めた様に思います。

高校は私立三田学園高校、野球部寮に入りましたが、寮の規律が厳しく、一年生の時は三日に一度、
泣いていました。
三年生でセカンド、二番、副キャプテン、最後迄がんばれたのも、中学校の先生、仲間が応援して
くれたお陰です。
今でもその時の事を思うと感謝の気持ちでいっぱいになります。

家庭の事情で、大学進学は諦め、淀屋橋の化学品商社に就職し、50歳で独立し、現在に至って
おります。

この度、歴史ある八尾東ロータリークラブに品川様のご好意で加入させて頂き、誠に有り難く、
光栄に思っております。
皆様よろしくお願い申し上げます。

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